Urban Guitar Sayonara(ナンバーガール)

個人的なことばかり書くのも面目ないのですが、此処は個人的なこと以外に何を書いても有り難味のない場であることにも気付いたので書きます。


最近、グッと来ません。


と言うより、あからさまにグッと来る音楽が足りません。夢中になれないと言うか。

良いに決まっている音楽を聴いて、「やはり良い」と新橋のガード下でホッピー飲んでる親父的に噛み締める。もしくは、「だから俺が良いって言ったろ?」と下北沢の地下のBARでジントニック舐めているうちに泥酔してしまい、仕舞には感極まって泣き出す手合いの文化的生活実践者崩れ的にクダを巻く。自分はその程度のことしかしていないのではないか・・・ということに恐れ慄きながら、気付かないフリをしているというか・・・そこまで病的ではないですが、ともかく誰かにガツンとやられることを待望しています。


思春期的土台が失われる、すなわち「枯れる」と、やはり当時への郷愁がビルドアップするのでしょう。「あのころ俺は」から始まって、「あのころ俺たちは」、「あの頃のUKミュージックシーンは」と、自分の多感な時期がまるで唯一の良識であるかのような語りが自然と頭をもたげます。

この「昔語り」ほどに興醒めでみっともなく同時に愛すべきものは無いことを20歳になる前から居酒屋で飲んできた諸君はよくご存知でしょう。「今の若い奴は・・・」という物言いは、少なくとも「若い奴」が現世に存在する限り不滅の表現であることとの逆説です。今の若い奴等が、まだ生まれぬさらに若い世代に対して「今の若い奴等は・・・」と苦りきっている場面を想像すると、心地良い倒錯感を味わえる気がします。


「昔語る」ということは、大半の場合は本当にかっこ悪いと思いますが、同時に本当に気持ち良いものです。佐藤琢磨が表彰台に昇ったとか何とかが聞こえてくると「鈴木亜久里鈴鹿の表彰台に上ったときはな・・・いや中島が雨のアデレイドで・・・いや、それより隣ではネルソン・ピケとロベルト・モレノの師弟コンビが涙の1-2フィニッシュを飾って・・・病床のナニーニにだな・・そもそもあの頃はプロストもマンセルもセナもいて、渋いところではブーツェンとかカペリとかもいたよね…」と止め処もなくなってしまうこと請け合いなのです。昔語ることの耽美な悦びの余りに。そもそも、今まで書いてきたレビューも大方の範疇が、独り善がりな「昔語り」です。


でも、それだけじゃやっぱ辛い!ともかく最近、グッと来んし、かと言って、サンボマスターにも夢中にはなれていないのです。いまのところ。


これは昔話ではなく、イメージとしては「記憶」なのですが、自分もいい加減いい年になっているわけですから、振り返ると似たような倦怠感に包まれたことは以前にもありました。


ナンバーガールが「透明少女」を以ってメジャーデビューした頃というのが、ちょうどそんな時期でした。

TVKの名物番組『ミュージックトマト』で、浪人生みたいなボーカリストが「透き通って見えるんだぁ〜」と絶叫しておりましたが、まったくもってグッと来ませんでした。「最近の若い奴等は・・・」シンドロームではないですが、「最近人気のある若手バンド!」という見え方そのものに何となく嫌悪感を感じていた疑いが濃厚です。

そんな風に頑固な割には意外と素直になれる瞬間もあるもので、本作"Urban Guitar Sayonara"がなかなかに「聴ける」ことに気付くと、これまでにグッとこなかったナンバーガールの数々の作品が堰を切ったように全てグッと来るようになりました。ともかくグッと来たのです。サウンドと曲と詩が。

彼等の2ndアルバム"SAPPUKEI"は歌詞カードを読みながら聴くことをオススメします。さもなきゃ何を唄っているのか分りませんので、楽しみが減衰します*1


ナンバーガールのヴォーカリスト兼リリシストの向井氏は、いみじくも本作B面収録の『真昼間ガール』で


「あ〜3万円でイイからぁ〜修羅場を見せてぇ〜落っことしてぇ〜♪」


と唄っていますが、ともかくそんな気分なのです。

「いみじくも」と書きましたが、どちらかと言うとそれが言いたかっただけって気もします。


URBAN GUITAR SAYONARA

URBAN GUITAR SAYONARA

*1:ちなみに本作のタイトルトラックは、「Hey 敵多い?」と始まる