THE RC SUCCESSION BEST ALBUM WONDERFUL DAYS 1970-80(RCサクセション)

以前に、中学校の時分の「空気の読めないキザな先生」のことを書きましたが、同じ中学校には今になっても忘れられない先生が実はもう一人おりました。

この先生は、生徒の母親の葬儀にゴム長靴で現れたり*1、土砂降りの雨でもバイク出勤だったり*2、お手製マークシート型答案用紙を誇らしげに導入したところ異なる学年向けの答案用紙を配布してしまったり*3、国語教材の題名「盆土産」を間違えて読んだり*4、顧問を務めていた部活動の生徒と揉めたり*5、という数え切れない武勇伝を誇る、ともかくセンセーショナルな先生でした。

それらのエピソードからすると、豪放磊落なイメージを持たれるかもしれません。しかしながら本物の彼は、ガタイは良かったものの、いたってダサく、若いのに老けて見える*6上に、小心者風情で貫禄がない、全くアナログ型の技術家庭担当教師*7でした。


生徒間でのイジメについて学校の教師達が厳しく対処するのは今も変わらないのしれませんが、当時そんな様子を観て内心は酷く冷めていたのには、この先生が教員の間で苛められているとしか思えなかった*8ことがありました。

同級生も含めて当時の私達はとても生意気だったので、ややもするとそんな先生に同情していたのかもしれません。当時の僕らには彼のことがどうしても憎めませんでした。彼はともかく明確な理由も無いままに、一部の生徒からはめちゃくちゃに慕われておりました*9

私達が卒業した直後、彼は別の中学校へ転任して行きました。「転任先の学校で苛められてやいないか」と「教え子に心配された教師」というのはなかなかに稀有なのではないかと今でも思います。


忌野清志郎の名曲『僕の好きな先生』を聞く度に彼のことを思い出します。

今になって考えてみると恐ろしいことに、当時の先生は今の私より年下だったりしたのかもしれませんが、一見するとどう贔屓目に見ても実務能力は低かったであろうあの先生のことが今となっては一番良く記憶に残っているのですから「先生」って仕事は恐ろしい仕事です。


THE RC SUCCESSION BEST ALBUM WONDERFUL DAYS 1970-80

THE RC SUCCESSION BEST ALBUM WONDERFUL DAYS 1970-80

*1:「黒い靴がなかった」と弁明。

*2:雨具ではなくスキーウェアを着ていた。

*3:試験中に回収騒ぎが勃発した。

*4:確信を込めて「ぼんどさん」と読んだ。

*5:指導者なのにヘタだと顧問交代を直訴された。

*6:「ああ見えて20代」などと揶揄されていた。

*7:教育カリキュラムへのパソコンの導入に怯えていた。

*8:どう割り引いても嘲笑されていた。

*9:一部の女子生徒からは蛇蝎のごとく嫌われていたが。