Renaissance(ペトロールズ)

早いもので今年も年末調整用の書類が保険会社から届きました。もはや2015年もカウントダウンに入ったも同然といったところでしょうか。

このブログでは、前回投稿から開いた期間について自虐するのが毎度恒例の儀式となりつつありますが、前回投稿はなんと2012年末。その間2年半あまりの間に果たして自分は何かを成したのか。恐る恐る思いを巡らせてみました。ああ、あのノンビリ屋のペトロールズでもその間に遂にフルアルバムを拵えリリースしたのに・・・溜息をついている自分に気づいただけでした。

本日は2015年10月10日。夕方からの天気が気になりますが、日がとっぷりと暮れた頃には、全国を回ってきたペトロールズのツアーの千秋楽公演が誉れ高き日比谷は野外音楽堂において執り行われております。きっとアルバムに収録されている曲もたくさん演奏されるでしょう。今のうちにこのアルバムの感想を取りまとめておきましょう。野音での演奏を聴いた後にはまた異なる感想を抱いているかもしれませんから。


振り返えるとあれはツアー初日の8月12日。会場の恵比寿リキッドルームで販売が開始された本作"Renaissance"。物販のカウンターに長蛇の列ができる中*1、ようやっと封入が済んだ本作が詰まったダンボールがギリギリのタイミングで会場に届き、開けるや否や飛ぶように売れていったと漏れ聞きました*2

音楽の販売市場が往時に比べて著しく縮小する昨今、配信に、特典に、果ては選挙権にと、なりふり構わぬ、しかし青色吐息のシノギを続けている業界を尻目に、相変わらずマイペースな家内制手工業のペトロールズの皆さん。その最新作を求める人々の作る列に並んでいざ先頭に着いたら吃驚。丸いディスクが三角形の異形のパッケージに包まれておりました。既に本邦各地の志高い販売店において流通している本作ではありますが、たまたま買い取ることになった中古CD屋の店員さんなどは、その収納の不便さに舌打ちしておられることでしょう。

さて、当日はチケットもなかったので恵比寿から直帰。この△を自宅リビングで鳴らして、ジンを舐めながら聴いてみましたところの第一印象は「音の当たりがまろやか」ということでした。

はて、酔っ払って聴覚にコンプかかったのかしら。その後もリスニングを重ねてみましたが、どうもそうではないようです。コンプレッサーで丸まっているのとも違う、プレーンでありつつもまろやかな、昨今のプロの音源としてはなかなかお目に抱えれないタイプの音だと思います。録音の事情やミックス、マスタリングの志向があるのかもしれませんが、ともかく業界の標準はあまり気にかけても居ないみたいですね。

そういった唯我独尊な態度を踏まえても「ギター・マガジン」誌によるインタビューにおける「(長岡亮介は)ギタリストとして余生を生きている」という椎名林檎さんの指摘は、的を射たモノだと感じられます。それが褒め言葉ですらあるというニュアンスも含めて。

ただ、最初期の音源からペトロールズなり長岡亮介をフォローしてる自分には、トリオの演奏を担う一翼として、ソングライターとして、修羅の道を往き続けてきたことによって彼が得た恵みは、天恵として甘受したものではなく、自ら勝ち取ったものなのだとの思いもまた強いです。

長岡亮介がギタリストとしての進化を志向する余りJeff Beckに成り下がられたんじゃ、私はとっても悲しいのです。本作"Renaissance"を聴く限りだと、その心配は少なくとも当分は杞憂に終わりそうですが。


さて。抽象的な物言いはこの辺にして、吟味を重ねた結果の感想を逐条的にしたためることに致しましょう。


冒頭曲 の”タイト!"。
シンプリシティとスケベ心がしっかりとインストールされた冒頭曲に思わず心が浮き立つのを感じます。

ワウの効いたギターがクラヴィネットのように使われていたり、ダイナミックなアーミングが施されたリードギターが重ねられたりはしていますが、基本的には3人の音とコーラスで構成された実にシンプルな構成と韻を踏んだ身も蓋もないリリック。これはバンド初期のレア音源”仮免"に収録されていた”O.S.C.A."を髣髴とさせるペトロールズの勝ちパターンですね。

思わず殿下に奉納したくなる1曲と言えましょう。


2曲目。"On Your Side”。
ライブハウスで慣れ親しんだ曲がお化粧された顔を改めて拝む醍醐味もまたペトロールズのスタジオ作品ならではと言えましょう。

ギターも3本は重なっているようですし、コーラスも多重的ではありますが、ともすると極彩色に彩られていた従来のスタジオ作品に馴染んできた自分には、よりツボを押さえたお化粧になったと感じられました。カウンターメロディーを奏でるシタールギターの音色も素晴らしく、ずっと続いて欲しい、終わって欲しくないと思える曲です。だからこそフェードアウトが相応しく感じるのでしょう。


3曲目。”表現”。
これも数多のハコで演奏されてきたファンにはお馴染みの楽曲です。

楽曲の設計として、音と音(音符と音符、声と楽器、楽器と楽器)の間に隙間がたっぷりと設けられたペトロールズらしいこの名曲が音源化されるのは、それだけで非常に喜ばしいことです。ライブ演奏ではサビのコーラスがイマイチ決まらずもどかしい思いも感じていたので、これにてひとまず一件落着といった安堵すら抱いた次第です。

2本のEpiphoneのサウンドは実に軽妙で、従来フロアで耳にしてきた印象よりもグッとアコースティックに仕上がりました。ハンドクラップも含めたパーカッションやコーラス(というより呟き)が実に効果的なのもこの隙間とアコースティックな響きがあってのことでしょう。


4曲目。”アンバー”。
この曲がシングルでリリースされたのはいつの事だったでしょうか*3。何がきっかけになったのか、旧来からのファンにもお馴染みの名曲の再録音です。

そのアレンジに大幅な違いはないものの、構成の押し引き、音色のメリハリ、全体の整合感と全般的に改善が感じられ、良くも悪くも甘かった点がスッキリとした印象があります*4

それにしても相変わらずいい曲です。あれは下北沢GARAGEだったか、初めてこの曲を聴いて感動したときのことを思い出しました。


5曲目。”Talassa”。
トロールズにしては珍しいライブで披露されたことのない完全新曲です*5こういうモジュレーション系のエフェクトが全面的に動員された多層的なサウンドスケープが曲の全体を覆うのはペトロールズとしては実は初めてではないでしょうか。

サウンドの印象が先鋭的な一方でその曲調にはノッペリとしているような印象を覚えるかもしれません。矢継ぎ早に迫り来るシンコペーションが特徴的なペトロールズの楽曲としてはこれまでになかったタイプの曲だと思えるかもしれませんが、よく聴いてみると様々なリズムのタメが其処此処に仕込まれており*6耳にすればするほど度に好きになる素晴らしい1曲だと思います。ここでもペトロールズらしく存分に配置されるコーラスが地平を拡げ、実に効果的にアルバムを彩っています。

「ギター・マガジン」誌におけるインタビューなどでも「歌いながら演奏するのはまず無理」というような話が出ていましたが、そんなもんはちゃちゃっとディレイでも使って解決しちゃえばいいじゃないですか。


6曲目”Fuel”と7曲目”Profile”はどちらも割りと最近にシングルとしてリリースされていた既発曲ですが、今回アルバムに収録されるに当たってどちらもミックスがやり直されているようです。サウンドに関しては特にベースの存在感が増した印象を覚えました。冒頭にも音がまろやかになった印象とも書きましたが、きっと低音がカットされたことで却って輪郭がはっきりしたのでしょう。

振り返ると、大好きなこの2曲についてTwitterで感想を呟き散らかしてはいたのですが、改めてこのブログでレビューとして取りまとめておりませんでした。

”Profile”の一節には"fill my heart with your yokogao”という歌詞があります。profileという言葉には横顔という意味があることを今更ながらに確認したわけですが、このリリックはなかなか書けるものではないのではないでしょうか。ペトロールズのリリックがダサくないという現実に自分は得も言われぬ救いを感じます。

サザン・ソウルのマナーに則って奏でられるシタールギターの甘い雰囲気が彩るこの曲のアウトロには、この曲を最初に聴いた時から魅せられてきました。嗚呼、このままずっと演奏が続けば良いのにと後ろ髪を引かれる、その瞬間。アルバムの一部に収録された今となってもそのハイライトの一つとして輝いています。


さて8曲目。”Iwai”。
トロールズで曲を作っている長岡氏の個人名義のデモ音源で既に披露されていたこの”Iwai”ですが、その段階ではサビの歌メロが、ともするとスタンドアウトしてしまっている印象も感じていました。今回の録音でサビの伴奏に加えられたリッチなアレンジメントが、そこのところの落差を上手く均し調和させています。舌を巻く、とはこういうケースで使われるべき慣用句でしょう。

それにしても耳に心地よいガット弦の音。このGianniniというBrazilメイドのギター*7、実はうちに3本も揃い踏みしていたことがあるのです*8。2本を里子に出して今も残る1本はModel No.2*9。1966年8月に作られたもののようです。長岡氏がtwitterに載せた写真を観るに同時代のものでしょう。ウチで爪弾いてほくそ笑むだけでも十分に乙なものですが、長岡亮介という敏腕の手によってその魅力が増幅された結果をも耳にすることができたのは、一好事家として有難い僥倖でありました。

ギターの話になるとついテンションが上がって暑苦しくなっていけません。
パーカッション(トライアングル)が非常に効果的に空気を締めているこの曲。唯一残念なのは最後の最後に音がブツっと切れることです。気密性のよいイヤフォンででも聴いてないと気づかないかもしれませんが。ペトロールズは前にもそういうことがあった気がします。ちょっと残念です。


9曲目。Youtubeなどにもよく出回っているペトロールズを代表する楽曲、”雨”です。
多くのファンに長らく愛されてきたこの曲。上記の”アンバー”と同じくそのアレンジに大幅な変更はないものの、再録に当たってはマンドリンによる繊細なレイヤーが加わっている他にも、バッキングのギターの荒々しいサウンド、従来以上に悪ノリしてもはや冗談かとすら思えるギターソロ、鍵盤のイメージか間奏の部分にプペプペと入ってくる脱力的なギター*10と、”アンバー”以上に攻めの姿勢が感じられました。

そこまでやるなら換骨奪胎、従来のアレンジを根本から徹底的に骨抜きして頂きたかった、とも思うのですが、オールドファンの戯れ言かもしれません。


さてラスト前の10曲目“Not in Service”。
“Talassa"と同じく、ライブで披露されてこなかった新曲です。この曲はなかなかの曲者でして、個人的にはなかなか咀嚼できず、暫くの間、反芻を繰り返しました。なにゆえ冒頭からノッペリとしたドラムがダラリダラリと繰り返されるんだろうか、と。何か、自分が気づいていない、バンドが意図した所があるんではないか、と。

悩んで悩んで、友人の指摘をきっかけにようやく腑に落ちました。なるほど此の曲はヒップホップモチーフなんですな。あのドラムも、ビートをサンプリングしたイメージだと思えば、すんなり腹に落ちます。反芻しても反芻しても消化できなかった塊が氷塊した瞬間でした。普通に聞いて愉しめばいいのに、何かと解釈したがる好事家はこれだから頂けません。

そっちのけにしてたギターサウンドですが、改めて聴いてみると間奏頭のギターの弦の振動の得も言われぬ緩さを始めとして、正に長岡亮介印とでも云うべき不審さが亡霊のごとく漂っていることに気づきます。まったくどんなギターを使っているのやら。

この曲はライブで聴いたらどう思うかも楽しみです。あと2時間ちょっとで開演。お天気が持てば良いですね。


そして11曲目。“Renaissance”です。
近年、長岡氏はソロ名義での音源も幾つか正式にリリースしていますが、それらの音源のディレクションと近い雰囲気を否応なく感じさせるトラックがアルバムをクローズしております。いつの間にか、こういう曲がお手のものになったんですね。感服しました。


こんな素晴らしい11曲が詰まったアルバム"Renaissance"。流通経路がどんどん広がっているようです。



お近くで出会ったら是非手に取ってみて頂けると幸いです。

*1:トロールズ長岡氏とそっくりなメガネをかけて、そっくりなパンツ履いて、そっくりな髪型した男性が沢山居て笑った。人気者は辛い。

*2:この日の販売分からは少なからぬ枚数がオークションで転売されたようだ。3,000円の本作が4倍程度の価格で落札されているのを見かけた(http://t.co/hzozkRIdtQ)。地方の人には買えない現状が在った以上はこういう事が起きるのは止められない。hypeの一部と考えると小金を稼ぐコバンザメが居てもおかしくないし、買う側は「すしざんまい」が松方弘樹のマグロを競り落とすようななもんだ。それを売る側が嫌うなら最初から全国流通すればよいだけの話。

*3:2009年か。もう6年も前のことなのだ。個人的な話だが、あのとき自分は入院していて、買ってあったチケットを知人に託し、代官山Unitの物販でシングルを買ってきてもらった。病院のベッドで興奮して繰り返し聴いた思い出がある。

*4:旧来の音源は冒頭のリフを奏でるギターのチューニングが正直気になっていた。実際のところはどうだか分からないが、よりによってスタジオ音源でチューニングが怪しいというのも実にペトロールズらしい話だ。ただ、そこがクリアになるのが悪い話のはずもない。

*5:15年10月11日追記:本年5月の在日ファンクとの対バンライブで既に披露されていたらしい。早速にご指摘を頂いて有難いやらお恥ずかしいやら。いや誠に有難い。tatu60さん、多謝です。

*6:旧作”EVE2009”でも顕著に観られた左右のチャンネルにギターのフレーズを分解する長岡亮介の18番がこの曲でも効果的に炸裂している。

*7:造りの精密さなど期待すべくもないが、時代的に迷わずハカランダ(ブラジリアン・ローズウッド)が使用されているこのメーカーのガットギターは得も言われぬ魅力を湛えており私を魅了してやまない。このメーカーに最初に興味を持った際、迷わずに町田Millimeters Musicの松澤老師に相談したところ「ガットギター界のdanelectroに目をつけるとはお目が高い」とお褒めの言葉を頂いた。嬉しい思い出。

*8:すべてアメリカから調達したものなのだが、うち2本はNew York、それも同じLevitt Townという郊外お巨大住宅地の一角から届いた。最後の1本はこの御仁から届いたものだった。「発送が遅れてすまないね」ということで、おまけに自作のCDを入れて頂いた。即捨てた。

*9:このギターの発送の際に一悶着あった。最終的に押し切ったが、セラーからはビダー(私の事)に対する評価として”real ASSet”との捨て台詞を頂いた。モノよりオモイデである。

*10:耳に慣れるまでは、いや今もこのギターを入れた意図については図りかねるところが正直ある。コーラスとの兼ね合いでの設計なのだろうか。

夢でさよなら(髭)

このバンド、ふざけた名前の割には目覚しい品質の音楽をやってて大好きなんですが、とりわけ好きな楽曲の一つが本作『夢でさよなら』であります。

伴奏とメロディと歌詞とが三位一体となって押し寄せる様は、かの名曲"1979"や『閃光少女』を彷彿とさせます。ただ、それらの2曲とは似て非なるものを感じさせるような気が最初からしていました。

そんなこんなで2012年、街を往きつつこの曲を聴いているときにふとピンと来ました。"1979" も『閃光少女』も視点こそ異なれど青さを歌った曲だと思われる一方で、この『夢でさよなら』は別れや喪失を歌っているんですね*1


歳末になんて暗い話を、と我ながら思いますが、辛く切なく狂おしいその心情は分かる人には分かるでしょう。


胸に抱いていた明るい未来との突然の決別。

それがもはや失われてしまったことを理解しようと自嘲してもみるけど、こういう時に限って気の利いたことが言えない。終わりを受け入れられない。

まるで悪夢でも見ているような気分だけど、それは醒めない。夢ではない。

少しずつではあるけれど、そんな現実に慣れて行ってる自分も居る。でも、上の空でも、寝惚けた侭でもいいから、夢の中に居続けたい。

現実を直視できないから・・・


と。


無駄と分かっちゃいてもbrighter sideを見てしまう、残酷な現実から目を背けてしまうのが人間ではありますが、失うときはあっという間。人生なんてそんなものなのかもしれません。

それでも強く生きて行こう、だなんてアホなことは申しますまい。ただ、そんな世の無常も心の片隅に捧げ置きつつ1日1日を生き抜く強さを2013年も持っていたいものです。


・・・だなんて論評を嘲笑うようにチャーミングな演出が為されたビデオクリップがまた沁みます。特にギターに扮させられてるフィリポさん*2。彼を見ていると、やはり泣き笑いな気分にさせられるのです。



夢でさよなら(初回限定盤)

夢でさよなら(初回限定盤)

*1:題名が題名なだけに「ピンと来た」と言うほどの気付きでもないが、突然に視界が開けた感じがした。そのことに気付いてしまってからというもの、この曲を聴くとヘタすると泣いてしまう。

*2:長髪のドラマー。うちの嫁は彼が妖精だと割りとマジで思ってる。

Problems(ペトロールズ)

さて、心を入れ替え前回から間髪入れずにペトロールズ新譜をレビュー致します。


「ともかく2012年も残り僅かとなったわけですが、まだまだ一波乱二波乱あるかもしれません。何せ、あのペトロールズによる久しぶりのスタジオ録音盤のリリースが待っているのですから」


とまで書いたから自分で言うわけではありませんが、ベールを脱いだペトロールズの新作"Problems”は素晴らしい内容でした。

期待を易々と超えていくその様は正に天晴。「胸がすく」とはこういうことでしょう。


このアルバムが最初に耳に触れたときの感想を素直に述べるならば、正直言って「面食らった」という感じでした。スタジオ盤ならではのそのリッチなテクスチャに。

この感覚、どこかで体験したような気がします。考えてもみれば、それはペトロールズの"EVE2009"を最初に聴いた時だったんですね*1

従来慣れ親しんできたシンプルなライブアレンジとは異なる、作者の頭の中にだけ在った楽曲の姿。その全容が開陳されるスリル。それもまたペトロールズの音楽に対面する時の醍醐味なのかも知れません。


その後、様々な環境(イヤフォンで大音量で聞いたり、部屋でうっすらと「ながら聞き」したり)で、この"Problems"を聴き込んでみました。

聴き込むほどに耳に(脳に)馴染んでくるこの感じ。これもまた"EVE2009"と一緒。ペトロールズの作品の品質が為せる業なのかもしれません。

音による装飾の口当たり(耳当たり)がスムーズになる一方で、主旋律や伴奏の和音の背景で密かに鳴っている細かい仕組みが見えてきて感心したりもします。これはmixの塩梅も良好だってことだと思います*2


以下、月並みな方式ではありますが、個別曲の感想を好き勝手にしたため、ペトロールズを徹底的に褒め上げる儀に移らせて頂きます。


冒頭曲『カザーナ』。

ヴォーカルとコーラスが如何に重視されてるかがヒシヒシと伝わるmixです。ペトロールズの皆さん、楽器の演奏が大変にお上手なのに、此処での伴奏はむしろ脇役であるかのように聴こえます。

とは言っても、随所にrobotalk*3が濃厚に掛かった個性的なギターは陰に陽に大車輪。フィルター系をここまでコッテリ使っても伴奏が成立するバンドは他になかなか思いつきません。

この曲のドラムスは、元々複雑なパターンをシンプルなビートに仕立て上げてて大変に好感が持てます。百花繚乱なギターとの相性が良いから尚そう思うのでしょう。一方で金物の処理が何気なく凝っている*4ことも見逃せません。


2曲目『エイシア』。シンプルながらコクのある、平坦に見えて緩急もある、実に上質なスウィートネス。恥ずかしながら率直に白状いたしますが、三十路半ばのオッサンの分際で聴く度にウットリとしてしまいます。

この曲でのベースはフレットレス・ベースでの演奏かと思いましたが、どうやらエフェクターでアタックを殺してあるようです。

この曲に限らず、三浦"ジャンボ"淳悟さんのベースは相変わらず卒無くも艷やかで、安直にエクセレントと評するしか術がありません。ワタクシの心の地元、町田が誇るバンドLoop Junktionの低音マスターが、稀代の演奏家であり作家である長岡亮介と出会い、共に音楽を創っているという世の運びの幸せに感謝するばかりです。

我ながら細かい話ですが、サビで挿入されるギターはWurlitzerのように聴こえました。この音色で以って鍵盤的なアプローチを採るセンスも凡百のものではありません*5


さて3曲目は私が愛して止まない*6『ASB』。音源化されただけで感無量なのに、初期のアレンジもキッチリ織り込み活かされているのには感激致しました。

まるで民謡のようにファンキーなリズムに乗った、圧倒的にお洒落なこの『ASB』。

話はいきなり私の妄想に飛びますが、やはり*7資生堂はこの曲をCMに使うべきです。資生堂には是非パトロンとしてペトロールズを囲って頂きたい。資生堂の金でリッチなレコーディングをしましょうよ(止まらない妄想)。


で『誰』。ライブで演奏され始めた頃とアレンジが変わってアッパー度が激増。目出度くも、これで胸を高まらせずに居られようか(いや居られまい)というキラーチューンと相成りました。

『カザーナ』程ではないにせよ相も変わらず重層的なコーラス。"Capture419"に収録されたライブ音源は何気なく聴いてしまっておりましたが、こうして一つの完成形を耳にすると、この曲をライブで演奏するのはそれ自体が異常に野心的な試みだということが分かります。


トロールズの音源については、その捻くれ上がったポップセンスも手伝ってか、ごく一部には、ともすると「全部一緒に聴こえる」との声も聞かれたわけですが、本作5曲目の『止まれ見よ』を聴けば、或る種のフォーミュラに則ったポップミュージックもペトロールズの手の内に在ることが伝わるでしょう。

トロールズには珍しく王道な「ブリッジ〜サビ」の流れ。ヒネクレ者は「こんな気持ち良さに素直に身体を委ねて良いんだろうか」と戸惑うのであります。不穏かつ無機質な装いのイントロから、ああもアッパー且つダンサブルなサビ*8に至ろうとは・・・嬉しい誤算でした。

ところでこの楽曲は何処かでライブ演奏されたのでしょうか?この場での初披露だとするならば、ライブで楽曲を削り出していくペトロールズにしては珍しいパターンだと言えることを付言しておきましょう。


さて本作を締める楽曲『モラル』。この曲はたった1度ではありますがライブでの演奏を聴いたような憶えがあります。その分裂っぷりには驚きを通り越してビビってしました。

アレンジの微調整を経て、こうやってスタジオ音源になってもそのアバンギャルドさは変わりませんが、何度も聴いてると、ふとした瞬間に、楽曲がきちんとポップに着地してることに気づかされます。いや、今となればむしろかなりポップだと感じられます。

たった6曲で毎度の如き百花繚乱を展開してしまうペトロールズが満を持して打ち込んだ締めの一曲。個人的には本作で一番好きな曲です。


さて、自己参照を繰り返すのもみっともない話ですが、前回のエントリーにおいては


「(前作"Capture419"を堪能し尽くした)上で更に新作"Problems"を更能するのが、全てに飽いた大人の贅沢三昧ってやつだと思うのです」


僭越ながら申し添えたわけですが、こうして実際に目眩い音楽体験を果たしてしまうと、あながち的外れでもなかったな、との思いを抱き、筋違いも甚だしい期待をこの世に抱いてしまいそうです。


ありがとうペトロールズ。今後とも世の好事家たちのためにどうかご活躍下さい。



Problems

Problems

*1:思えば同作のリリースも年末だった。

*2:因みに本作のmixを担当したのは、ライブハウス下北沢GARAGEのマネージング・ディレクター出口さんと、今や人気バンドとなったGolfの首謀者でもあり、知る人ぞ知る映像制作集団SLEEPERS FILMの首謀者でもある関根君だそうで。彼等は少なくとも経験豊富なエンジニアリングの専門家ではない。それでいてこういうイイ仕事をされちゃうと、センスの良いヒトは出来るんだと唸ってしまう。なお、知りもしないヒトのことを「クン」付けする奴が個人的に大嫌いだが、関根君とは知り合いでもあるので関根君と呼ぶ。関根君、イイ仕事したね!

*3:ギターの音色を変化させるエフェクターの一種(参照:サウンドサンプル)。いわゆるエンベロープフィルター系、あるいはオートワウ系のエフェクターとして良く使われている。似たペダルは他にもあるから、必ずしもrobotalkではないかもしれないが。

*4:ドラムセットにおけるシンバル等の鳴り物。手法自体はありふれているのかもしれないが、こういうシンプルな演奏の中でさり気なく為されているところがグッと来る。

*5:そもそも、音色自体が素晴らし過ぎる

*6:敢えて勝手にそう言ってしまう程に思い入れ多大。

*7:この曲をライブで初めて聴いたのはいつだったか、その時から資生堂推しが続いているので、ここで「やはり」を添えてしまう。

*8:此処でのベースの爽快感ったらどうだ。

Capture 419(ペトロールズ)

更新が久しぶり過ぎてブログの編集が覚束ないところまで来てしまいました。

考えてもみれば前回の投稿は昨年暮れ。春も夏もスッ飛ばしてしまったのですから、宜なる哉、であります。

2011年末には「なんとコレまでに更新たった4回」と自嘲いたしましたが、2012年も恐ろしいことに残り2ヶ月余り。此処は腹を決めて、いつもはtwitterのTLに自堕落に垂れ流しておしまいにしてる心の凹凸を何とかとりまとめ、卑しくも開陳させて頂きましょう。


さて、ともかく2012年も残り僅かとなったわけですが、まだまだ一波乱二波乱あるかもしれません。何せ、あのペトロールズによる久しぶりのスタジオ録音盤のリリースが待っているのですから(11月7日リリース)。

その名も"Problems"と銘打たれた当作。

色取り取りの音源・生演奏で時に煙に巻き、時に戸惑わせながらも、確かに聴衆を魅了し続けてきたペトロールズが「この作品は問題で溢れかえっている」とまで自認する*1作品であります。

そんな作品を世に出すからには、その先のペトロールズはその前のペトロールズでは無いのかもしれません*2

ならば、その"Problems"リリースを前にした今だからこそ、前作"Capture 419"を自分の心がどう受け止めたかを記録しておこうと思い立った。そんな次第です。


本作"Capture 419"は、その名から窺い知れる通り、2012年4月19日に執り行われた演奏のライブ音源が素材となった作品です。

楽曲のクオリティの高さと果敢な演奏は相変わらず。うるさ型も思わず唸るエクセレントな作品であることに間違いはないと思いますが、それでいて多少のcontroversyを内包しているところがまた興味深いところです。


本作がユニークなのは「トッピング*3」が為されていることです。「トッピング」という言葉を用いた理由が照れ隠しなのか何なのかは定かではありませんが、要するにコーラスがダビング(差し替え)されているのです。

言ってしまえば「外しすぎたコーラス」を流石にそのままは出せなかった、って事情でしか無い思うのですが、これは自他共に認めるライブバンドであるペトロールズとすれば忸怩たる思いが少なからず在ったでしょう。

結果としてコーラスは理想にほぼ近い形でまとまっており、複雑なアレンジも卒無く活かされています。一方で、自分でハードルを上げて退路を断ってしまった結果、いざ本番(生演奏)で、本作を聴いてからやって来た聴衆をガッカリさせるようなリスクも抱え込むことになってしまいます。


改めて通してアルバムを聞いてみると、本作には面妖なところが他にもかなりあることに気付きます。

ライブ演奏の臨場感を出す為に場の音を拾うアンビエンス・マイクの音が大胆にカットされている局面があったかと思えば、演奏のミスが思い切りそのままに収録されている*4局面がある。

名曲"インサイダー"において、分厚いエフェクトに包まれた助走を経て「いざ!」という瞬間に一切のエフェクトが脱ぎ捨てられたままに長尺ギターソロが展開される様などは正にライブ演奏ならではのスリルです*5

一方、初めて作品として音源に収録された"ELF"においてはドラムスを始めとして音の雰囲気が他の楽曲と明らかに違う様に感じられます。敢えて統一感を重視しないスタジオ音源的なミックスもまた為されているのです。

そういった感想が折り重なってくると、本作、ライブ盤であることの必然性が良くも悪くも薄い気がします。他ならぬペトロールズ自身が本作について「従来のライヴ版を逸脱したライヴコンセプトアルバム」自称しているのは、ひょっとするとそこを意識してのことかもしれません。

敢えて厳しい表現をすれば、多少の化粧直しを必要とするなら、何度でも直せるスタジオ盤をきちんと作ればイイじゃん、と感じたのは確かです。"Capture 419"と言うよりは、むしろこっちが"Problems"じゃん、と。


ただ、そんなこんなと周りくどい感想があれこれと頭の中を駆け巡っている間も本作を聴き続け、もう何週も何周も聴き込んだ頃に結局残っているのは、そこにパッケージされている音そのものへの印象でしかありませんでした。

あくまでも素晴らしい楽曲と素晴らしい演奏であることには変わりないので、聴けば聴くほどに本作がスタジオ音源のような印象を抱くようになりました。本作のベースがライブ音源だと実感させるのは、珠に聴こえる観客の歓声とごくごく珠に聴こえる演奏のミスの部分だけですね。

そもそも本作は音源の収録日の翌月には発表された作品。「録って、なる早で出し」だったことを考えると、異常なクオリティであります。

今更に気づくのは、Amazon.co.jpで30万円を超える異常なプレミアムが付けられるなど今や伝説となっているライブアルバム"Music Found by HDR-HC3"ですら*6、この"Capture 419"を聴いてしまうと其の魅力が色褪せるように自分が感じていることです。

それは取りも直さず、ペトロールズがバンドとして成長しているということに他なりません。そのことを確かに実感できたのが本作"Capture 419"だったと今は受け止めています。


ひとまずは本作"Capture 419"を聴き、その旨味に舌鼓を打ちましょう。その上で更に新作"Problems"を更能するのが、全てに飽いた大人の贅沢三昧ってやつだと思うのです。



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*1:出典:ペトロールズ ウェブサイト http://www.petrolz.jp/

*2:思えば私は、ペトロールズの旧作についてレビューした際にも「彼らのライブ演奏を聴いてしまったがばかりに、自分の脳に張り付いたあの激烈なライブ演奏の印象が薄まってしまうのが嫌で本作から遠ざかってしまった」と同じようなことを書いている。

*3:ライナーノーツにそう書いてある(笑)。

*4:QueenだってZeppだって古い時代からライブ音源をこれでもかと修正してきた事を考えると、音楽編集技術が著しく発展した今日、簡単に直せそうなのに。聴いてて「此処は直さないのか!」と衝撃を受けた。

*5:そのギターソロのスリリングなこと、突然に戦場に迷いこんでしまった泥酔老人のようである。後日『ギター・マガジン』誌におけるギタリスト長岡亮介氏インタビューを読んだところ、実はあの時、彼がエフェクターを踏み残っていた、という衝撃の事実を知った。彼は酔拳の達人だったのだ。

*6:思えばこの"HDR"に至ってはビデオカメラで録った音源そのままだったのだ。確かにミスもてんこ盛り。蛮勇。

The Way of The World(Mose Allison)

Bob Dylan選曲によるコンピレーション作品の第2弾"Theme Time Radio Hour: Season 2"にMose Alisonさんの曲が含まれていました。


Theme Time Radio Hour: Season 2

Theme Time Radio Hour: Season 2


"Young Man Blues"

そう。The Whoの永遠の名作"Live at The Leeds"に収録されていたあの曲です。


「おお。The Whoのあの曲をこういう形でカバーした人が居たのか・・・」ぐらいの気持ちで聞き流しておりました。果たして、逆でありました。Mose Alisonの曲をThe Whoがカバーしてたんですね・・・。ああ、恥ずかしい*1


そんな経緯でお名前を見知ったMose Alisonさん。

「十ン年振りの新譜!」だの何だのと、かなり局地的にではあるものの騒がれていたのが耳に入ったこともあり、気軽な気持ちで聴いてみた本作ですが、気がつかないうちに心を鷲掴みにされており、その虜となっておりました。その効用は止まるところを知らず、明けた本年2011年も随分と楽しませて頂きました。


洒脱に転がるピアノに合わせて、ユーモアに富んだ詩を歌う優しい歌声*2。それ以上に音楽に求めるものがありましょうか。


聴くところによると*3本作、全く乗り気ではない御大のもとにプロデューサーが通いつめ、説得に説得を重ねて制作に漕ぎ着けたそうです。

Joe Henryさん*4、あなたは偉い。


Mose Alisonさん、本作のリリースに合わせて来日する予定も組まれていたのですが、ご本人の体調不良によってキャンセルとなってしまったそうです。珠玉の演奏を生で味わう機会を逃したファンの皆さんはさぞかし残念に思われたでしょう。

ただ、御大、御年83(当時で)。たかが数回の演奏の為に遠い極東の島国にまでご足労頂くのは申し訳ありません。キャンセルで良かったんだと思います。そんなに聴きたいんなら、アメリカでもどこでも行きゃいいはずですから*5。ドルも安いんだし。


Way of the World (Dig)

Way of the World (Dig)

*1:甚だ小っ恥ずかしい勘違いではあるが、そういう間違いに限って少なからぬ快感を伴う。「なんと!」と思う。

*2:ピアノソロになると合わせてハミング、否、唸り声が聞こえる。Keith Jarrettや「炎のコバケン」を彷彿とさせる。恐らく全部まとめて録音する方法を敢えて選択したんだろう。名作とは得てしてこういう行間の質感が豊かなものだ。

*3:出典はコチラ

*4:T Born Burnett、Buddy Millerと並んで、ここ数年で頻繁に聞かれる名前。プロデューサーとしての仕事のみならず、彼本人の作品も素晴らしい。

*5:ウェブサイトの"Tour Date"を観ると、恐ろしいことに来年の12月の予定が既に入っている。

Burn It Down(Los Lobos)

2011年も暮れて年の瀬。Twitterでつぶやき始めた昨年からはこれまでにも増して停滞の一途をたどっていた本ブログの更新ですが、今年はなんと更新4回。

「今年の汚れ 今年のうちに」と申します。「汚れ」とは言わないまでも、今年のうちに心に去来し引っかかったままとなっている幾つかの凸凹を今年のうちに取りまとめ、卑しくも開陳させて頂いた上で新年を迎えたいと思いました。


年の瀬ともなるとありがちなのが1年の振り返り。ライブハウス"Billboard Tokyo"から送られてきたDMにも今年のライブの振り返り記事が掲載されておりました。

彬と志乃が常連だったりする一方で*1、「カジュアルシート」という名の下層カースト向けの席を提供する"Billboard Tokyo"。そのブッキングセンスも相まって*2、プレミアム系*3ライブハウスの中でも独特のポジションを確固たるものとしておりますが、Los Lobosが来たのは今年だったんですね。


観る前から良いと決まっているEast L.A.の帝王Los Lobosでありますが、実際に観てみると幾つもの発見がありました。

Telecasterを下っ腹の更に下にぶら下げて弾いてる巨漢(David Hidalgo)なんて、ミュージシャンというよりは町会長って言った方がしっくり来るような外見・・・





・・・なのですが、1曲目からテナーギターをバッキバッキに引き倒してました。チカーノなんだから歌は当然のごとく激烈に上手。アコーディオンも弾いちゃうんだから町会長どころじゃないわけです。


思えば以前に同じく"Billboard Tokyo"で観たMaria Muldaurさんは、曲の合間にPA担当者に向けて「途中で音いじるなやコラ」と怒りをぶつけていたのが印象的でしたが、今回は皆さん自分のアンプのセッティングも何もかもイジりまくり。

左利きの方のギターのヤーさん(Cesar Rosas)はモニターされてる自分のギターが聞こえなかったらしく・・・



"Turn it up. Don't be afraid"

「音上げな。(音の上がり方に不満げに)怖がらなくていいから・・・そうだそうだ(やればできんじゃねーか、と頷く)」



・・・と、PA担当者に目も合わせずにマイク越しで指示。

このオッサンはMCでも「日本の食い物最高」と素直すぎる感情をアピールしたり*4、曲の後に"Thank you music lovers!"とキメたりで改めて惚れさせて頂きました。


下民根性の染み付いたワタクシのことですので、この時もステージのほぼ真横から下に覗き込むような、いわゆる「カジュアルシート(下民席)」だったのですが、だからこその発見も色々とありました。両ギタリスト、特に「ヤーさん」の方は割と頻繁にペダルを踏んでおりまして、ギターを嗜むワタクシとしましては意外な発見だとほくそ笑んだり。

途中でギターからドラムに移ったオッサン(Louie P〓rez*5がステージ背後のカーテンの外を覗き込み東京の夜景に見とれてたのにはとりわけ笑いました。ドラムセットに戻ったサポートドラマーも全く同じようにカーテンの外を覗き込んで「おお!」と喜んでる始末で、キャラは全くブレず。「お前らは子供か」と。


一方で悲しい出来事も。

ああいう「プレミアム系ライブハウス」だと、演者と目が合わせ続けるようなステージ真ん前の砂かぶり的な席も用意されているわけですが、「空気を読む」ってことが「義務」としてDNAに書きこまれている日本人達は、外国からの「お客様」の気分を損ねることを極度に恐れるのか、「嬉しいこと」「盛り上がっている」ことを悲しくも無様に不慣れな動きや表情で「明示」せざるを得ないようです。それはもう、そこはかとなく、居た堪れませんでした。

とりわけ、アンコールの『ラ・バンバ』で総立ちになったときの予定調和感は悲惨なもので*6、下民用シートに居た幸運を嫁と分かち合いつつも、CDにサインして貰おうと待っている人々を尻目に会場を後にした次第でした*7


さて、それこそ予定調和的に総括致しましょう。

今年、あのLos Lobosを初めて生で観る機会を得て再認識したことがありました。彼らの魅力とは、青臭い表現になってしまいますが、作為的な感じが全くしないことにあるのかもしれません。Crazy Ken Bandから感じられる言い知れぬ違和感は「彼らがLos Lobosじゃないから」なのかもしれません。

会社員とかサラリーマンとかやってると、自分のロールモデル(要するに「なりたい人」)が居るかどうか云々ということを問われることがあり実にウザいのですが、強いて言うならばワタクシ、Los LobosのSaxのオッサン(Steve Berlin)みたいになりたいです。


・・・と、どうでもいいことを独り言ちつつ、2010年の作品ではありますが、今回の興行のきっかけとなった作品をご紹介して締めとさせて頂きます*8


Tin Can Trust

Tin Can Trust

*1:参照サイトはコチラ。「仕事が終わったらJBを聴いてきた」、「生で聴いて驚いたのはマーカス・ミラー」との志乃の発言は味わい深い。

*2:今年はHigh Llamasもここで観た。他にもIno Hidefumi、naomi & goro、Dirty Dozen Brass Band、果てはEdwyn Collinsを招聘するなど、いぶし銀の渋さを保ちつつも型にはまらないセンスを見せつけた。

*3:要するにチャージも酒もツマミも相対的に高額なところ。勝手にカテゴリー命名。"Blue Note Tokyo"を筆頭として"Cotton Club"、"Motion Blue"等を典型的な例として想定。

*4:他のメンバー(揃いもそろって巨漢ばかり)も「俺達もう腹減ってる!」とすかさず同意。「なのにまだこの後もう1ステージあんだよ・・・orz」的な雰囲気

*5:このオッサン、実はオリジナルドラマー。技術が足らなかったのか何なのか、太鼓はサポートメンバーに任せて呑気にアコギをかき鳴らしている事が多い。

*6:あれはバンドは悪くない。

*7:外人版「赤ひげ」といった佇まいのオッサン(白人。髭)が終始踊り狂ってた。そっちは完璧だった。団塊の世代が死滅した暁には我が国ももうちょっとマシになるかもしれない、いや、ましになっているように我々の世代がお荷物にならないようにしなくてはならん。

*8:1曲目から雷鳴轟くような激烈なギターソロが楽しめる。因みに弾いてるのは「町会長」。

I'm with You(Red Hot Chili Peppers)

amazonのレビューだったりtwitterだったりで、やっぱりJohn Fruscianteの穴は埋めきれないだとか、昔はあんなにハジけてたレッチリも落ち着いてしまったもんだといった不平不満を目にしますが、要するにレッチリだと思って全身が力んだ状態で本作を聴こうとするから違和感を覚えたりガッカリしたりするわけです。


John Fruscianteバカの皆さんが何と言おうと(むしろそれらの人々が不平不満を漏らせば漏らすほど)この新譜は良いと思います。

聴けば聴くほど良くなるので、発売から1週間も経っていないのに何周聞いたか分からない程です。


本作、先行シングルからして只事ではない、という予感を感じてはいたものの、本日、仕事しながら聴いてみて本作の本当の魅力に改めて開眼した次第です。


何のことはない。聴きやすくポップでありながらフッキー。

ポピュラー音楽にそれ以上の何を期待できましょう?

それでいて作業を邪魔しない。*1

いや、ホントに本作、まっこと素晴らしいアルバムですよ。


何はともあれ新任のJosh Klingofferさん。

ステージでペダルを踏みに慌てて小走りするその姿を見つけて、そのチャーミングさ*2に喜んでおりましたら、


「同じような奴を何年も前のロンドンでのPJ Harveyのステージでも見かけた」


と友人*3

果たして同じJoshさんでありました。

ペダルボードに駆け寄る姿でコネクト。人生には驚きがまだまだ沢山ある!と感嘆せざるを得ません。


本作での彼の仕事は、人に拠っては悪い意味で、人に拠っては*4良い意味で、John Fruscianteという巨大すぎる前任者の影を感じさせないと感じました。

Joshさんがどんな人間だかは存じ上げませんが、飛び込んだそのバンドは世界を股にかけるビッグフェイムバンド。世の中な期待はよもや「満塁」。誰にしたって相応以上に感じられるに違いない期待の高さと役割の過酷さに苛まれた瞬間は少なくないはずです*5


そこで放たれた本作。

前任者がかつて放った天覧試合でのサヨナラホームランではないのかもしれませんが、投手が「此処しかない」という高さとコースに渾身の力を込めて投げ込んだ勝負球を完璧に捉え右に流し打った走者一掃の三塁打なのだ、と、そう思わずには居られない佳作にして大名作になっていると、何回目だか分からずとも"Brendan's Death Song"をまた聴いているワタクシは信じて疑わないわけです。



I'm With You

I'm With You

*1:その素晴らしさに気づいて思わず感想をメモった。その時点で自分の仕事は邪魔されているわけだが。

*2:リンク先の動画の0:25ぐらいからの彼にご注目。カワ(・∀・)イイ!!。

*3:ワタクシは"Bicylce Thief"というユニコーンの曲名のようなバンドのギタリストとしてその名前を見知っていた。

*4:ワタクシはこっちのクチ。

*5:彼の境遇の辛さの何万分の一かは分かる心境なのだ。只今、個人的に。