ぐっとくる題名(ブルボン小林)

これまで音楽や映画について書き散らかして参りましたが、いわゆる邦題という奴についてクサクサしたことは一度や二度ではなかった気がします*1


冷静になって考えると、どんな題名をつけようがそれは身銭を切った製作者の方々の勝手。上手くいかなければ損する(あるいは恥をかく)のは彼らなのであって自分ではありません。

それなのにイチャモンつけるのは、或る作品の内容(本質)が如何に素晴らしくとも題名一つでその本質的な価値すらを損ねかねないと思うからです。


そんな具合に勝手に使命感に燃えて、時に感銘を受け、時に憤ってきたわけですが、かくも業の深い「題名」という存在の性質を徹底的に掘り下げたのが本作「ぐっとくる題名」です*2 *3


本書の実のところの著者である小説家長嶋有氏については、ずいぶん以前に書いたレビューで言及したことがあります。彼の小説に漂う「上の空」感について触れたものでした。

小説のみならずエッセイにおいても「弟子が欲しい。そして命名したい」などといった全くもって上の空な主張を展開する長嶋氏ですが、ブルボン小林という別名の下ではその傾向に拍車がかかり、実に実のない話題に真正面から(ときに恥ずかしがるフリをしつつ)取り組み、恥ずかしげも無く(ときに言い訳しながら)細部に渡って分析しております。


分析の対象は題名の通り、まさしく「題名」だけ。内容もしくはコンテンツには(ほぼ)関心が払われません。

もう言ってしまえば「どうでもいい」ことについて、ああでもないこうでもないと唸りつつ理屈を付け(ようと試み)なければ気がすまない、そんな著者の病的な性格は人に拠って「好き/嫌い」が激しく分かれそうな気がします。

ワタクシは、そこのところについて「好き」どころか、殆ど自分自身を見ているかのようにDNAが共振するのを感じるのであります。


ぐっとくる題名 (中公新書ラクレ)

ぐっとくる題名 (中公新書ラクレ)

*1:回数が多すぎるのでいちいちリンクを用意する気さえ失せる。「邦題」とでも入れて検索してみて頂きたい。

*2:そのまんまな題名だ。話は変わるが、余りに偏向的な内容に著写自身も気後れしているのか、カッコつきで自分で自分に突っ込むという考えようによっては救いようも無くイタい場面が本作では多く観られる。「本作『ぐっとくる題名』です(そのまんまだな)」というイメージ。

*3:「グっと来る」ではなく、「ぐっとくる」であるところにも著者の何らかの作為がこめられているのだろう。・・・と考えさせられている時点で自分のメンタリティが侵食されているのを感じる。ストーカー的な物言いであることは承知しているが。