娯楽(東京事変)

未来ってどんなだろうって想像したことありませんか?


車が空を飛んでたりするんだろうか?自分も空を飛べたりするんだろうか?だとしたら空で交通事故が起きないように道や信号があったりするんだろうか?

・・・だなんて考え出したらきりが無いわけですが、ま、そこは平々凡々な人間のこと。自分がそれまでに観たり読んだりした「未来」のイメージから激しく逸脱することもなかったりしたのもまた現実。

ましてや結局のところは、自分が生きて死ぬまでの間にそんなに大きな変化なんか起きないんじゃないか、と内心では思っていたりもしていたのではないでしょうか。


そんなこんなで大騒ぎして迎えてみた21世紀。


「ふたを開けてみたら今日もまた俺だ。また同じ太陽。もうたくさんだこんな面」


・・・といった形で高田渡さんは20世紀の頃から『いつになったら』と歌っておられたわけですが、ともかく、変わっちゃいないわけです。何も。


それでもちょっとは、いやかなり変わってるかもと思ったキッカケが本作でした。


本作の発表に向けての期待と思い入れは、自分の中ではもう近年稀に見るほどに高まっておりました*1

そんなときに自分がとった行動というのが


「普段は『128 kbps』に設定してあるiTunesの読み込みレートを本作の場合には『320 kbps』まで上げた」


ということだったのです。


これ、たった10年ちょっと前の高校生の頃の自分に伝えても全く意味が通じないことと思います。

そもそも、当時ならCDを買ったらその場でパッケージを開けてSONYディスクマンで聴きながら帰るというのが定番でした。

もっぱらiPodを利用している今となってはそれはできません。高校生の自分が聞いたら、そんなに不便なものを何ゆえ使っているのか訝しがるでしょう。

そんな当時の自分に、いまの自分の自宅のiTunesのライブラリを見せたら、疑いつつも涎を垂らすのでしょう。あまりに便利過ぎて。

そしてそんな風にショックを受ける(高校生の)自分は、外出する(おっさんの)自分を見てさらにショックを受けるのでしょう。「CDはどこ?」と*2


いま思えば時代として好対照だったのは、本作と同等の期待と思い入れをもって発売日を迎えたOasis"(What's the Story of) Morning Glory"がリリースされたときでした。

学校から急いでレコード屋*3にママチャリで向かいアルバムを作品を購入、ママチャリで家に帰ってCDラジカセ*4に恭しく装填し、正座しながら「拝聴」したわけです*5


それがたった10年ちょっと経っただけで、Amazonで注文したCDが送料無料で自宅に届いて、iMacに飲み込ませて、ビットレートをおもむろにぐぐっと押し上げ、データベースから曲目やジャケット映像を読み込みつつリッピングして、朝出かける前に白い携帯懐炉のような機会に読み込ませて、通勤のお供としているわけです。


これからまた10年経ったらどうなっちゃってるんでしょう?

高田渡さんが言ったように「法律が無くなる」ことはないかもしれませんが、本作のような自由な気風を讃えた作品がオーバーグラウンドできちんと発表されるような未来であることを祈るばかりです。


その名も『娯楽』と銘打たれた本作ですが、三十路に到達した今もなお高校生のような気持ちで新譜を愛でることができるという現実は素晴らしいことだと思います。

『娯楽』。けだし名タイトル。内容については、もう言うまでもございません*6


娯楽(バラエティ)

娯楽(バラエティ)

*1:先行してシングルカットされた二作品について我ながら激烈な好意をもってご紹介・ご推奨してきた経緯(OSCAキラーチューン)が我ながら如実に物語っている。

*2:今思うと衝撃的だが、当時の自分はディスクマンと一緒に20枚ほどのCDを常に携帯していた。

*3:これまでも何度か登場している「メロディ」(東急田園都市線青葉台駅近く)。気が付いたら閉店していて久しい。

*4:これまでのレビューにも何度か登場しているSONYドデカホーン。これもまた逝ってから久しい。

*5:比喩ではなく、本当に正座してた。我ながらアホだと思う。

*6:「言うまでもない」とまで断りながらこのことだけは言いたい。1曲目の『ランプ』の冒頭からWurlitzerが鳴っている。自分の性癖がどこかの興信所経由で製作者に掴まれていた。そんなような感慨すら覚える。