Live & Rare(Rage Against The Machine)

もはや伝説となっている(らしい)第1回Fuji Rock Festival

ワタクシ実際にその場に居わせましたが、その時点で


「これは大事だか伝説だかになるだろうな」


と思ったのは他でも無く、


「死ぬかと思った」


からです。

律儀な台風が天気予報どおりに会場を直撃。大半の客(ワタクシ含む)は半袖のTシャツしか持ち合わせないのに、暴風雨が荒れ狂うわ、真夏にも関わらず吐く息は白いわ、メシもまともに食えないわ、で死ぬかと思いました。


会場は忘れもしない天神山スキー場。

富士吉田の駅に到着して会場へのシャトルバスに乗り込む段階で空は真っ暗。既に泥酔しているブラジル人の一行が


"Where the fuck is Mt.Fuji!?"


と大騒ぎしているものの、聞きたいのはこちらの方です*1 。実に不吉な始まりでしたが、そんな予感は的中どころかオーバーシュートして大惨事につながることになることをこのときの我々には知る由もありませんでした。


ともかくようやく会場に着いたときには雨も降り始めておりました。正直言って、ウンザリした気持ちが早くも頭をもたげつつありましたが、初めて体験する本格的ロックフェスティバルに身も心も舞い上がっていたワタクシ達は、遠くから聞こえてくるバンドの音にヴォルテージも簡単に再上昇。荷物も背負ったままで、小ステージ一発目のズボンズで大盛り上がりとなりました。

このときに最初の悲劇が。暴れてもみくちゃになった友人のリュックから中身が噴出していたのです。客が掃けた跡にバッグの中身を回収に行くと、踏まれて中身が無残にはみ出た洗顔料(UNO)が。グッチャグッチャの地面の茶色にあの白い物質が映えること映えること。関東のおでんの真っ黒い出汁に浮かぶハンペンのようでした。


そしてその時は静かに到来しました。

ところは大ステージ。Foo Fightersを遥かに凌駕したザ・ハイロウズの素晴らしいパフォーマンスに心から感動した後のこと。

Rage Against The Machine(RATM)の演奏こそがこの第1回Fuji Rock Festivalを真の意味で伝説足らしめたものでした。


暴風雨の中、フェスティバル運営はともかく混迷を極めておりました。

フード・エリアに行くとどのブースにも超大行列。ロジスティクスが機能不全となっており、カレー屋で米飯が払底している始末です。

便所もロッジの軒先も、ともかく雨が凌げる場所という場所は全て、肩を震わせながら身を寄せ合う人間達でスシ詰め状態。

やたらと苦労して手に入れた*2カレーも嵐の中で恐る恐る食っているうちに雨水が入り込んで見る見るうちに薄まってしまうような悲惨な状況でした*3


20〜30分のセットチェンジの間は雨晒しのまま、白い息を吐き震えてじっと待ちます。頭に巻いたタオルを伝った雫を耳たぶからポタポタと垂らし続ける中、動きたくても動く元気が無いのです。

耐える。ひたすら耐える。

RATMがステージに現れる直前までは、空腹と寒さとストレスで、あそこにいた大半の人間が、


「こんなはずじゃなかった」

「何でこんな思いをしてまでここに居なくてはならないのか」


と、心の奥底では「辛い」と思っていたのではないかと思います。

それは正しく嵐前の静けさでした。


ようやくセットチェンジが終わって、RATMのメンバーがステージに出てきました。

それぞれの楽器が鳴り始め、MCのZach De La Rochaが"one, two"とマイクチェックを始めたその瞬間。ステージに向けてなだらかに下る敷地の上で冷え固まっていた人の塊がゆっくりと動き出すのが見える。そして真っ黒い空の下で部分部分トグロを巻くような状態でゆらゆらと左右に揺れている最前列付近の人間の塊。

もうどうにでもなれとばかりに奇声を上げ、まるで足軽のようにステージに向けて駆け出す若い衆。

前方で根気よく我慢していたものの、急速に緊張度の高まった戦闘地域から完全に弾き飛ばされて、ステージとは逆の方向に向かって逃げ惑う女、子供達。

文字通り開戦前夜の雰囲気が一気に充満してゆく中で、一曲目*4のイントロのギターリフが聞こえてきた瞬間、張り詰めていた雰囲気が「パン」と弾けるのを感じました。


特筆すべき素晴らしいサウンド*5に乗せてRATMの繰り出すビートが観客を加速度的に煽ります。

踊りだす聴衆。

その数恐らく30,000人。

しかもほぼ全員が自暴自棄。

「もうどうにでもなれ」、「ええじゃないか」、「同じ阿呆なら踊らにゃ損」、ついでに「パンよこせ」状態。


なんと・・・地面が震えている!

加熱する聴衆から立ち上る湯気でステージが見えない!*6


方角を判断する頼りは緩やかな傾斜と聴こえて来る音だけです。

何処からか中身が8割方入ったままの1.5リットルのペットボトルが飛んできて、ぬかるみきった地面に「ボコッ」と突き刺さりました。冷静に考えると危険極まりないですが、あの場所に居た者の一人としては、あんなに重いペットボトルをブン投げたいような衝動が湧き上がったことが理解できないでもありません。

もう集団催眠にかかった原始人が数万人という状態。凄まじいライブでした。


この日の模様を収めたライブドキュメンタリーには、権利の関係からか何なのかRATMの演奏は一切含まれて居ないようです。追体験したいと思われた方には本作をお勧めいたします。



さて、第1回Fuji Rock Festivalのその後です。

気の毒なことに始まる前から完全にRATMに飲まれてしまっていたイエローモンキーの皆さんの演奏を無視して暖かいコーヒーを飲んで体力を回復させた我々は、大トリのRed Hot Chili Peppersの演奏に臨みました。

結局は彼らの演奏もRATMに完全に食われておりました。暴風により演奏が中途半端な尺で中断となり、そのまま終了となったことにもさほど腹が立たなかったことが、その事実を如実に物語っていると思います。


遠足は帰るまでが遠足。フラストレーションで心を満杯にした群衆が会場を後にする様は正に阿鼻叫喚と言うべきものでした。

天神山を下るたった一本の国道は違法駐車だらけでジャムスタック。遅れに遅れて到着するシャトルバスに我先に殺到する群衆。バスに乗るのに殴り合いの阿鼻叫喚。あのときほど人間の集団の恐ろしさを味わったことはありません。

我々は無難に徒歩で会場を離れ、事前に予約してあった釣り客向けのロッジに宿泊したので事なきを得ましたが、敷地内のキャンプサイトや国道脇に設置されていたテント群は軒並み吹っ飛んでおりました。そこで夜を明かそうと目論んでおられた方々は、泥濘に、路傍に、ただただ呆然と立ち尽くしておられました。


我々の宿は数分歩けばセブンイレブンが在る非常に便利な場所に立地していました。ただ、その肝心なセブンイレブンは難民キャンプの様相を呈しておりました。

店の軒先には真っ青な顔で小刻みに震える人間達が冬眠中のテントウムシのように肩を寄せ合っております。店の中は中とてパニック状態。ありとあらゆる商品が売れてしまって真っ白。「お釣りを放り投げられる」という貴重な経験も積むことができました。

「難民」の中には、民家に侵入して食べ物を貪っているところを目撃された方も居られた始末で、結局、翌年はここ天神山でのFestivalの開催は見送られ豊洲で、次々回以降は苗場での開催と、Fuji Rock FestivalはMt. Fujiからどんどんと遠ざかっていったのでありました。


一転してド快晴だった2日目。「全予定が中止」との速報を聞き、宿からサンダルで国道まで出てみたところ、下りの道だけ渋滞しておりました。「速報は確報だ」と分かったそのとき、正直なところホっと感じました。

ロッジに戻って、ベッドに寝転がり「釣りバカ日記」を読みふけった我々の体たらくと対照的だったのは同宿の女子達。朝早くから「今日も暴れる」気満々で会場に出かけて行って、中止に心底落胆し、ズタズタの会場で記念写真を撮ってきたそうです*7


なお、宿泊先の"Silver Lake Lodge"のお母さんには大変なご厚情を賜ったこと付記させてください。

あの夜、野良犬以下の格好で宿に戻った我々の体に付着した泥をホースから勢いよく放水して落としてくれたのみならず、時間的に「晩御飯は用意できない」と念を押されていたにも関わらず、磨耗しきった我々を見かねて晩ご飯を作ってくださいました。

ナポリタンスパゲティを我々は泣きながら食いました。あの味は一生忘れません。

*1:こいつらはこっちが1時間半並んで乗り込んだバスの行列に思いっきり横から割り込んで待ち時間3分で乗り込んで姿を消した。

*2:この「手に入れた」という戦時感が我ながら絶妙。

*3:あれは流行先取りのスープカレーだったと信じたい。超薄味だったが。

*4:確か”People Of The Sun”だった。

*5:この日はサウンドだけは全般的に素晴らしくクリアだった。

*6:この光景だけは死ぬまで忘れられないだろう。

*7:男性と女性のヴァイタリティの差を生まれて初めて思い知った瞬間だったかもしれない。