Freddie Mercury Tribute Concert

Paul RodgersとドッキングしたQueenの残骸の是非についてあれやこれや言うのは野暮だってこたぁ分かっちゃいるのですが、どうしてもどうしても脳裏から離れないのは、何故Paul RodgersではなくGeorge Michaelにやらせなかったのだ、ということ、その一点のみでした。

Whamの片割れとして。そしてソロシンガーとして。それぞれに一時代を築いたGeorge Michaelではありますが、個人的にはそれほど思い入れが強いシンガーだというわけではありません。

それなのに何故彼に拘るのか。それはあの日、ウェンブリースタジアムのステージにピンクのスーツを着て現れ、正に完璧としか評しようのない"Somebody to Love"を歌ってくれたからです。



かつてはFreddieの歌がそうであったように、あれこそ正に歌手の仕業。大勢の観客を前に高みに立ち、その歌声が聴こえないということがないように声をマイクロフォンで増幅までする価値のある芸です。


先日、思い立って、夜中に部屋の天袋の中身をひっくり返してVHSテープを捜し出し、もう一度あの"Somebody to Love"を聴き直してみました*1。数万人の観客を向こうに廻してたった一人の歌手が対等に渡り合う瞬間というのは、本当に在るのです。その完璧さに涙が止まりませんでした。この瞬間だけは綺麗な思い出として保存しておきたい。そんな気持ちになったときに、その瞬間以来George MichaelQueenで歌う日が来ていなくて本当に良かったのだという気持ちになりました。

そう思うと、あの日はFreddieの追悼だけではなく本当にQueenにピリオドが打たれた真に歴史的な日だったのだということが分かりました。そのことが実感として分かるまで私の場合結局10年以上かかったことになりますが、あの日を境に頑なに表舞台に上がっていないJohn Deaconにはそのことが最初から分かっていたのでしょう。だからこそJohn Deaconがあの日に聴かせた演奏は、今となって聴き直してもスペシャル過ぎて言葉になりません。

いわゆるベネフィットコンサートやトリビュートコンサートといった企画モノのコンサートはその昔から今までゴマンとあるのでしょうが、ポストLIVE AID世代の私が、或る意味で物心ついて初めて観たその種のコンサートがこのFreddie Mercuryの追悼コンサートでした*2。それ以来、品質的な基準が余りに遠い高みに設定されたまま高止まりしているため、この種の企画モノのコンサートにここまで心打たれた記憶がありません。


フレディ・マーキュリー追悼コンサート [DVD]

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*1:※転載時補足:今となっては信じがたいが、このころはYoutubeに馴染みが無かった。

*2:中学生の頃だった。