北京ヴァイオリン(陳 凱歌)

ヴァイオリンの神童である主人公の少年が父親と共に北京に「上京」してくる…そんなありがちな導入も含めて全体的にご都合主義的な部分が鼻につかないでもない映画ではあります。

お金のこと、父親のこと、年上の女性のこと、楽器のこと、母親のこと。多感な主人公は都会での新生活を通じて様々な経験をします。が、まぁ、それはそれでありがちな範囲を脱するものではないでしょう。


ただ、主人公が北京で最初についた先生が最後に授ける教えが素晴らしい。

それは「世の中は不合理だ」ということです。

油断しきっているところで弩真ん中への豪速球。これは効きました。演出もちょいとクサめだったりしたもので尚更こっ恥ずかしいのですが、涙が止まらなくなってしまいました。


ところで、この映画には『和你在一起』という素晴らしい原題があります。日本語に直訳すると「あなたと一緒に」という意味です。

終盤のチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の演奏シーンが象徴的ですが、様々な経験を積んだ主人公は、もはや自分のためだけではなく、味わった思いの分だけ様々な「あなた」と心の中では一緒にバイオリンを演奏しています。 このことが原題の意味と繋がってくるのだと思います。

ちなみに英題としても"Together"という簡潔且つ正しい題名が付けられています。

それなのに(ここからはクサクサさせて頂きます)何故、この日本という国では『北京ヴァイオリン』などという呆けた題名が付いているのでしょうか。邦題を付けることに必ずしも反対するわけではありませんが、「北京」+「ヴァイオリン」って、そこまで安直な題名をつけないとこの国の市場(=人間)にはこの映画の良さが伝わらないのでしょうか。思わず移住したくなるほどの怒りを誰にぶつければよいのか分かりません…とまでは言わないにしても、ちょっと寂しいです。