Godfather Part II
前作と並んで、何度も何度も観てしまう3時間の名作ですね。
テーマはシリーズを通して一緒っちゃ一緒なわけで、そこら辺についてあれこれ物語っても陳腐になるのは目に見えているので自粛します*1 。
ただ、本作に関しては、Robert De Niroのことを避けては通れないでしょう。特にあの掠れ声。端的にクソカッコイイと書いてしまいたい衝動に駆られます。
もう文句ナシなのですが、その魅力は同じ人物を演じている(時代は違う)Marlone Blandoのそれとはとても対照的な魅力であるということは興味深いです。
なんでもDe Niro先生は、役作りは死ぬほどしっかりやって*2、台本と演出に従って「きっちり」演じる、基本に忠実な昔気質の職人タイプの俳優さんらしいです。
映画"Rush Hour"の撮影で、喋くり系のChris Tuckerのアドリブの連発に「何を喋っているのか分からなくてかなり往生した」とジャッキー・チェンが自ら述懐しておりましたが、De Niro先生の場合、そんな挑発的なアドリブにも基本的には乗って来ないそうで、先生との初共演で張り切ってアドリブかましまくった若い衆が肩透し食らったそうです。
Actor's Studioのおじさん*3のインタビュー番組に出演したときは、先生、かなり「素」でおられたそうで、それなりのサービス精神を期待したであろうと思われるインタビュアの目論見は外れ、内容が全く面白くならなかったそうです。
そんな数々のエピソードを聞いていると、De Niroが渥美清に見えてくるというものですが、話を戻すと、本作でのDe Niroの凄さというのも、やはり、職人的に磨き上げられたディティールの造形に感じるカッコよさだと思うのです。声なんかはMarlon Blandoの演じていた「Vito Corleoneの若い頃」であることに何の疑問も差し挟めないぐらいに完璧に作り上げておられます。
ただ、そこら辺の再現性の凄みというのは、度が過ぎると、曲芸的に受け止められかねません。更に悲しいのは本作のDe Niroに惚れたところで、結局は、むしろ登場人物としてのVito Corleoneに惚れているのだということに気付いてしまうことです。
それこそが俳優の鑑足る者だと言うこともできるし、んなこたぁどうでもいいと思われる方もおられるでしょう。それだけのことなのですが、翻って考えると、結局は前作でVitoの存在に形を与えたMarlon Blandoの存在がデカ過ぎると思い直さざるを得ない、というのが私の感想の結局のところなのです。
ま、そんなこんなは私が屁理屈を捏ね上げているだけ。自分の役の未来像が他ならぬMarlon Blandoによって既に演じられてしまっている状態でこの仕事をあの監督から引き受けたDe Niro先生の胆力を考えるとやはり感じ入らざるを得ず、自分で何を言っているのか良く分からなくなってきました。
ただ、何の制約もなく活躍するDe Niro先生の魅力が味わえるのは、本作とは対照的なB級作品"Midnight Run"であると私は思っています*4 。
あ、Al Pacinoは、ボンボンからドンへの脱皮を演じた前作ほどの派手派手しい起伏はないものの、据わりっぱなしの眼と裏腹に心の中は揺れ動きっぱなしの新時代のドンを見事に演じていると思います。次回作では、いよいよ誰も観たくなかった「弱ったドン」を余すところ無く見せてくれます。
考えてもみると、畏れ多くも名作名優を向こうに回して、かなり生意気なことを言ってますが、それもこれも愛あるが故のことだということで、ご看過ください。
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