ナンシー関大全(ナンシー関)
よく言われていることですが、ナンシー関の文章は、言葉では表せないモヤモヤを取り上げて、理論的に、端的に、ちょっと下世話な「形」を与えてくれます。
だからこそ、読者は、彼女のエッセイを読んで膝を打ち、よくぞ言ってくれたと喝采を送ります。そういう意味で私は、彼女の文章から癒しを通り越して救いを得るような感覚すら覚える、大変に危ないファンです。
一方で「何を下らんコトを重箱の隅をつつくように」、「題材が阿呆らしい」と呆れる方々がおられるのも無理もない気がします。
ナンシー女史の基本姿勢は「そこで起きていることが許せない」のではなく、「そこで起きていることを黙って見過ごした人間であるということを認めたくない」ということだ、とご本人が何処かで書いておられたのを読んだ記憶があります。
要するに彼女本人が自身の文章の目的意識を貶めているわけで、それは正直な気持ちだったのかもしれませんが、人に拠れば言い逃れと取ることが出来なくもないでしょう。言い逃れといえば言い逃れだなとも思いますが、それは彼女が実は小心者の気配り屋さんであったからではないかと私は思っています。
タモリは、学生の頃から自分がいずれは芸事の世界に進むという確信を持っていたそうで、普段から芸能人の悪口は言わないように心がけていたそうですが、凡人はそんな心得が無いから凡人なわけです。そしていざ自分が当事者になると、たとえそれが趣味の範疇を超えないものであるにしても、愚かな自分がこれまでに吹聴したあれやこれやは一切無かったことにしてくださいと、謙譲を通り越して逃亡もしくは土下座謝罪したいような気分に苛まれます。
現実には、そんなことばかり気にしているとモノも言えないわけで、咽喉元過ぎて熱さを忘れて、またピーチクパーチクやるわけですが、その点でナンシー関の文章は、私にとっては戒めのような存在でなのです。
- 作者: ナンシー関
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
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